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1670

太陽王の宮殿

1660年代の終わりには、それまで以上に定期的に当地に滞在することを決めました。王はそこにもっと快適に過ごしたいと考え、王の第一建築家ルイ・ル・ヴォーに拡大プロジェクトを作るように命じました。庭園に面した新しいファサードは、煉瓦と石でできた小さな城館を覆ったため、「エンベロープ(覆い)」という名が付けられました。

平らな屋根を目立たなくさせる(小柱のついた)欄干で囲まれた、切石から成る全くモダンなこのファサードは、バロック時代のイタリアのヴィラの建築から着想を得ていますが、完全に古典的なスタイルで「フランス風」に変化しています。アーケードと隅石をベースにし、リリーフとピラスターもしくは円柱で囲まれた四角い窓のついた主階、ピラスターの付いた四角い窓のアティック、そして飾りとポ・ア・フーが付いた欄干があり、3つの階で構成されています。

「エンベロープ」のデザインは、二つの邸宅の間にあるテラスと共に、当時のフランス建築の中では比べるものがありませんでした。見晴らしの良いテラスからは「素晴らしい展望」とアンドレ・ル・ノートルが作った庭園を楽しむことができ、またそれが王の居室と王妃の居室を分けています。

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1660年代末、ルイ14世はより定期的にヴェルサイユに滞在したいと望むようになり、美しい居室でもっと快適に過ごしたいと考えるようになりました。そして、自身の建築家であるルイ・ル・ヴォーに拡大計画を練るように命じました。庭園に面した新しいファサードは、煉瓦と石でできた小さな城館を覆ったため、「エンベロープ(覆い)」という名が付けられました。平らな屋根を目立たなくさせる(小柱のついた)欄干で囲まれた、切石から成る全くモダンなこのファサードは、バロック時代のイタリアのヴィラの建築から着想を得ていますが、完全に古典的なスタイルで「フランス風」に変化しています。

宮殿には、基本的に対称となる2つの居室が含まれています。北には王の居室、南には王妃の居室があり、それぞれには7つの部屋が作られています。そして西側の、庭に面した見晴らしの良い大きなテラスでこれらの居室は分けられています。金色に塗られたスタッコのアーチ形の天井を持つサロンは、アレゴリーや神話の神々が描かれ、大きな窓からは明るい光が差し込んでいます。壁は多色な大理石、またはピンと張られた織物で覆われています。

太陽を象徴に選んだ王は、太陽の周りを回る惑星をテーマにしたさまざまな装飾をその居室に施しました。そのようにしてヴェルサイユは完全に王の住居となったのです。

1675年頃の水庭から見たヴェルサイユ宮殿の様子、1679年に鏡の間が作られる前にテラスが置かれていた宮殿中央部分のファサード、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/ジャン=マルク・マナイ

1675年の水庭から見た宮殿の様子

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玉座と銀の調度品が置かれた鏡の間1686年のシャムからの使者のレセプション、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

1686年のシャムからの使者のレセプションの際に鏡の間に置かれた玉座

1660年代、シャルル・ル・ブランの指揮のもと、ゴブラン製作所は、王室の装飾的居室のためにシルバーの美しい調度品を製作しました。金銀細工師クロード・バランとその仲間たちは、純銀の調度品を167個製作しました。それらは家具(テーブルと鏡、長椅子とスツール、小円卓、大燭台とその他の照明器具など)と、荘厳な食器(皿、花瓶、水差しなど)です。この調度品はすぐにヴェルサイユ宮殿の大居室にまとめられ、誰もが目にすることができるようになります。当時の人々は皆、これらを最高傑作品として称賛したのでした。

しかし、これらの調度品の命は陽炎のようにはかないものでした。というのは、1689年12月以降、戦費を賄うためにルイ14世はこれらを溶かすことを命じ、また宮廷人にも自分たちの金銀細工製品を同じようにすることを命令したからです。実際に目にされたことよりも想像されることの方が多いほど、あっという間に過去の物になったこれらの調度品は、太陽王の伝説のひとつとなったのです。

残されたいくつかの作品のイメージから、私たちは現在これらの素晴らしいフランスの調度品の姿を想像し、夢見ることができます。

内部から見た大居室 :大使の階段または王の大階段の模型、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

大使の階段の模型

ヴェルサイユ宮殿の王の居室の大きな階段は、大階段または大使の階段と呼ばれています。建築家ルイ・ル・ヴォーによって考えられたこの階段は、その後継者フランソワ・ドルベと画家シャルル・ル・ブランが作ったものです。その建設には1672年から1679年までの年月がかかっています。

多色の大理石と金色のブロンズをふんだんに使った美しい装飾と、天窓のガラスから採光するスタイルが採用されており、天井のアーチには絵が描かれ、装飾全体がオランダ侵略戦争(1672-1678)の王の勝利を表現しています。

この階段は、ルイ15世の時代には明かりが乏しく荒れており、そのため外交での謁見を除いてはほとんど用いられることはありませんでした。そしてガラス窓の維持に懸念を抱き、また内殿の拡大を希望した王の求めにより1752年に壊されることとなったのです。

階段の様子は残された記録と美しい彫版と、その跡地に展示されている模型から(北部分、大理石の間の近く)その様子を知ることができます。

ルイ14世、フランスおよびナヴァール王(1638-1715)甲冑に身を包んだ1666年の半身像、ジャン・ヴァラン(1604-1672)ジャン3世、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館 © RMN (ヴェルサイユ宮殿) / フランク・ロー

ルイ14世の半身像、ヴァラン作

ヴァランが製作した王の半身像は、ル・ベルナンの大理石の半身像に対する反撃でした。半身像を公式に発表すると、王と宮廷は芸術家をほめたたえました。1679年ごろ、この半身像は大使の階段の中央に置かれ、ルイ14世の公式な肖像とされていました。この威厳が満ち溢れる王の半身像は、古代風の甲冑とパルダメンタム(ローマ皇帝の戦時におけるマント)を身に着けており、古代ローマ帝国の権力を思い起こさせます。

1677年4月18日、カンブレーのシタデルの明け渡しを受けるルイ14世、1678年-1679年頃ドン・ペドロ・ザヴァルがルイ14世に降伏、フラン・ファン・デル・ムーラン、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

カンブレーの前のルイ14世、フラン・ファン・デル・ムーラン作

この大きな絵画は、大使の階段の壁に飾られていた装飾品の中で唯一現存しているものです。この作品も含め、すべての装飾物は解体の際にすべて引きはがされ、別の場所に移されました。タピスリーと開かれた窓から景色を眺めるような気にさせるカルトゥーシュが特徴的です。フラン・ファン・デル・ムーラはルイ14世の軍隊の勝利を祝っています。ヴァランシエンヌの街を攻略した後、フランス軍はカンブレーのシタデルの前に陣を置きます。そして1677年4月18日にシタデルが明け渡されました。

王の中庭の格子門に施された装飾、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/クリスティアン・ミレ

ヴェルサイユ宮殿の王の格子門のオーナメント

王のシンボルである光り輝く太陽は、「NEC PLURIBUS IMPAR(すべてのものの上に光り輝く)」という言葉と共に、宮殿のいたるところに表されています。これは、太陽王の権力と栄光を示しています。

ルイ14世の史料編纂官アンドレ・フェリビアン(1619-1695)は、宮殿内のいたるところでみられるこの太陽のシンボルについて次のように述べています。「太陽が王を表すように、この居室の7つの部屋の絵画には7つの惑星のテーマが用いられている。それぞれには、それぞれの惑星とその王の行為に関係のある古代の英雄の行動が表されていなければならない」

1670年、神話の登場人物に扮したルイ14世一家、ジャン・ノクレ(1617-1672)、1670年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

神話の神々に扮した王室一家、ノクレ作

この作品の図表は非常に変わったものだと言えるでしょう。王室一家全員が、オリンポス山の神々に扮して描かれています。ジャン・ノクレは1670年にこの作品を、「ムッシュー」と呼ばれていたルイ14世の弟オルレアン公フィリップのために制作しました、これはサン=クルー城に飾るためのものでした。

このシーンは、単なる王室一家の肖像であるだけでなく、どちらかというと王の家系を祝うものだと言えるでしょう。その理由は、いくつかの肖像は死後に描かれたものだからです。

ルイ14世が中央にユピテルとして描かれています。その弟フィリップは左側に明けの明星として、そして彼の最初の妻アンリエット・ダングルテールはフローラ、アンリ4世の娘で英国王妃となったアンリエット・ド・フランスはアンフィトリテとして表現されています。ムッシューとアンリエット・ダングルテールの娘で将来のスペイン王妃、マリー=ルイーズ・ドルレアンは、ゼフュロスとして両親の間に描かれています。絵の中心で地球を手にしているキュベレは、母后アンヌ・ドートリッシュです。絵の後ろには、ガストン・ドルレアンの娘たちでルイ14世のドイツ人の従妹たちがグラティアエとして現れています。また、ディアナとして「ラ・グランド・マドモワゼル」と呼ばれたモンパンシエ公爵夫人のアンヌ・マリー・ルイーズが王の後ろに身を置いています。

王妃マリー=テレーズは、ユノーのアトリビュートであるクジャクの近くに描かれています。王妃は結婚の神として描かれる王太子ルイを伴っており、また夭折した二人の子ども、つまりアンジュー公フィリップがキューピッドとして、そしてプティット・マダムと呼ばれたマリー=テレーズがフローラとして描かれています。小さな絵には王の亡くなった二人の娘、アンヌ=エリザベスとマリー=アンヌ・ド・フランスという幼い王女たちも目にすることができます。手前でリラを持つ幼い2人の子どもたちの存在は謎に包まれています。手前の幼い少年は、「ムッシュー」の息子で1666年に他界したヴァロワ公です。

この作品は、王政復古の際に円窓の間に置かれました。ルイ16世がサン=クルー城の購入をしたことにより1785年に王室コレクションに加わってからずっと後のことです。

ダフネを追うアポロン、ルネ=アントワンヌ・ウアス(1645-1710)ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

ダフネを追うアポロン、ウアス作

この油絵は、ヴェルサイユ宮殿のルイ14世の浴室の間にあったもので、1677年に8角形の間の暖炉の上に飾られました。この居室は、ルイ14世が宮殿の1階北側に「エンベロープ」を作らせたときに整備させた美しい一連の部屋で成っており、ここで王は愛妾モンテスパン侯爵夫人とゆったりとした時を過ごしました。

ルネ=アントワンヌ・ウアスは、シャルル・ル・ブランに最も近い同業者のひとりで、この他にもヴェルサイユ宮殿の装飾を幾つか制作しています。その中には、ヴィーナスの間と豊穣の間の装飾が含まれています。宮殿では、ウアスは常に王の第一画家で居室の図表設計を担うル・ブランのデッサンをもとにして装飾を行っていました。

作者は、恋に落ちたアポロンに追われ、まさに今、月桂樹に身を変えようとするダフネの様子を描いています。

王家の衣装を身にまとった王妃マリー=テレーズ、スペイン王女の全身像(1638-1683)、シャルル・ボーブラン(1604-1692)、アンリ・ボーブラン(1603-1677)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/エルヴェ・ルヴァンドースキー

フランス王妃マリー=テレーズ、ボーブラン作

1638年9月20日、王妃マリー=テレーズはマドリッドでスペイン王フェリペ4世の最初の結婚の一人娘として誕生しました。彼女は1660年6月9日、サン=ジャン=ド=リュズでルイ14世と結婚しました。その義母であり叔母でもあるアンヌ・ドートリッシュは、マリー=テレーズがフランスに到着するとすぐに自分の庇護に置きました。ヴェルサイユ宮殿では北側に王の居室があり、その対となる南側に王妃は居室を持っていました。1683年7月30日そこで死去しました。王妃の死は、ルイ14世に「王妃はその死以外に予に悲しみを与えたことはなかった」と言わしめました。彼女は多くの子どもを王との間に産み、生涯非常に敬虔な女性でした。

ボーブラン兄弟は、アーミンが裏に付いた百合模様のマントとドレスを身にまとった王妃を描いています。王妃は、曲がった2本の円柱が支えるカーテンの下で、テーブルの横に腰を掛けており、そのテーブルの上にあるクッションの上には王冠が置かれています。

夜の鏡の間、2011年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/クリスティアン・ミレ

夜の鏡の間

「エンベロープ」のデザインは、二つの邸宅の間にあるテラスと共に、当時のフランス建築の中では比べるものがありませんでした。2つの大理石の美しい階段で通じる王家の居室は、ル・ヴォーの「エンベロープ」の主階を左右対称に占有しています。オリンポス山の神々にささげられた7つの部屋が続いています。それは、控えの間(ディアナ)、衛兵の間(マルス)、謁見の間(メルクリウス)、王の寝室(アポロン)、大客間(ジュピター)、小寝室(サトゥルヌス)、そして執務室(ビーナス)です。「イタリア風」ヴォールトの天井には、アレゴリーもしくは古代の歴史的な英雄の伝説的なエピソードで囲まれた、戦車に乗った神が描かれています。

装飾全体が王の姿の隠喩であり、優れた統治のアレゴリーになっています。このような装飾は、王家の建築物の中では一般的なものです。

王家の居室の壁は、多色の大理石や豊かで美しいブロケードで覆われています。そして他のヨーロッパ諸侯たちと張り合うことができる王室コレクションを作ろうと考えた王が購入した、イタリア派とフランドル派の最も重要な絵画で飾られています。素晴らしい装飾、絵画、美しい調度品がルイ14世の栄光を明らかにしています。

シャルル・ル・ブラン(1619-1690)、画家、アスティアナ=セヴォラ・ボシオ(1793-1876)、彫刻家:フランス、アントワンヌ・コイズヴォックスをもとに(1640-1720)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

シャルル・ル・ブランの肖像、ボシオ作

ヴェルサイユ宮殿の天井絵は、若い画家や彫刻家によって実現されたものです。これを指揮したのが王の第一画家であるシャルル・ル・ブランで、彼は宮殿の装飾に関して非常に細かく監督しました。彼は図表全体を作り、そしてその実現を監視しました。彼は右に出るものがいないような、絵画の新しいフランス派の指導者となりました。ルイ・ブランがデザインした装飾、絵画、そして調度品にはひとつの目的しかありませんでした。それは、王の栄光をはっきりと知らしめるということでした。

「モデーロ」ドラゴンに引かれる戦車に乗ったサトゥルヌスの勝利、ヴェルサイユ宮殿内サトゥルヌスの間の天井、ノエル・コイペル(1628-1707)、1672年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/ジャン=マルク・マナイ

サトゥルヌスの間の天井の下描き、コイペル作

ヴェルサイユ宮殿では、大居室の天井絵の下描きをいくつか保存しています。ノエル・コイペルは、庭園側にある王の小寝室のために「サトゥルヌスの勝利」を考案しました、この絵には、2頭のドラゴンに引かれた戦車に乗ってオリンポス山を追われるサトゥルヌスが、先見の明を表す人物像の横に描かれています。しかし、鏡の間(大広間)の建設によりこの部屋がなくなったことから制作は中断されました。

ヴェルサイユ宮殿美術館は最近、ノエル・コイペルの別の下描きを購入しました。それは、戦車に乗ったジュピターが、擬人化された「正義」と「憐み」の間に描かれているものです。モデーロは、1680年-1681年に王妃の大居室の衛兵の間の装飾に使われました。これは本来、戦争の間に代えられた王の大客間のために作られたものです。

ジャン=バプティスト・ドゥ・シャンパーニュによるもう一つの下描きは、1678年に王の寝室であったメリクリウスの間の天井のためのものです。ケリュケイオンと翼の付いた兜で見分けることができるメリクリウスは、この下描きの中心に描かれています。

フランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。1日目:7月7日水曜日:キノーのオペラの上演

フランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。1日目。

ランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。4日目、大理石の庭の噴水の周りに置かれたテーブルを囲んだ祝宴、ジャン・ル・ポートル(1618-1682)、1676年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

フランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。4日目。

1674年、ルイ14世はフランシュ=コンテを征服しました。これは2回目のことでした。夏の間、6日間に渡り「ヴェルサイユの歓楽」が繰り広げられたのです。この祝宴では、一時的なシステムと永続的なシステムを混ぜて作った最後の庭園の木立が紹介されました。大理石の中庭を使って、リュリの「アルセスト」が上演され、テティスの洞窟のファサードでは、モリエールの「病は気から」がシャルポンティエの音楽と共に披露されました。ラシーヌの「イフィゲネイア」はオランジュリーで演じられました。以前開かれた祝宴と同様、この祝宴でも花火が打ち上げられました。ポートルの彫板はこれらの祝宴の貴重な目撃者だと言えるでしょう。

フランソワーズ=アテナイス・ドゥ・ロシュシュアール、イリスを象徴するモンテスパン侯爵夫人(1641-1707)、ルイ・エル「ル・ジュヌ」(1648-1717)帰属、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/ダニエル・アルノデ/ジェラール・ブロ

モンテスパン侯爵夫人、ルイ・エル帰属

フランソワーズ=アテナイス・ドゥ・ロシュアール・ドゥ・モルトマール、つまりモンテスパン侯爵夫人は1640年10月5日にリュサック=レ=シャトーの城で誕生しました。その美しさから宮殿の注目を集めた夫人を、ルイ14世は公式の愛妾としました。1668年の夏の間に開かれた、フランスとスペインの間の和平を確認しフランドル戦争を終わらせたアーヘンの和約の祝宴は彼女にささげられたものです。その祝宴の間は午後から夜遅くまで、祝祭がずっと開催されていました。散歩をするかのように、招かれた人々は王に導かれ、庭園の新しい小道を驚きと共に楽しんだのです。

モンテスパン夫人は、ルイ14世との間に7人の子どもをもうけ、王はその子どもたちを嫡出子としました。その中にはメーヌ公、ドゥ・ブロワ嬢、ドゥ・ナント嬢、そしてトゥールーズ伯が含まれます。夫人は子どもたちの教育を、フランソワーズ・ドービニェ、つまり後のマントノン侯爵夫人に任せます。晩年は自分の領地に戻り1707年5月26日、ブルボン=ラルシャンボーで亡くなります。

フランソワ・ジラルドン、彫刻家(1628-1715)、王立絵画彫刻アカデミー学長 - 自身のコレクションの一部であるジュリアス・シーザーの大理石像の頭にもたれかかっている姿、ガブリエル・レヴェル(1642-1712)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) /ジェラール・ブロ

彫刻家ジラルドンの肖像画、レヴェル作

ジラルドンは、ルイ14世の治世で最も有名な彫刻家の一人です。彼は、フランソワ・アンギエのアトリエで研修を受けたのち、1657年に王立絵画彫刻アカデミーのメンバーになりました。その後、知識と才能の幅を広げるためにローマに渡りました。シャルル・ル・ブランと近しかった彼は、共にヴォー・ル・ヴィコントでニコラ・フーケのために庭園の群像や像の制作に携わりました。彼が残した作品のうち、数多くがヴェルサイユ宮殿の庭園に今でも残っています。たとえば1675年制作のニンフに囲まれるアポロンや、1674年の「大量注文(グラン・コモンド)」の一部である「冬の像」、1668年-1670年ごろのニンフの泉水の浅浮彫り、列柱廊にある1699年の「プルトンに連れ去られるプロセルピナ」が挙げられます。

  • 玉座と銀の調度品が置かれた鏡の間1686年のシャムからの使者のレセプション、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

    1686年のシャムからの使者のレセプションの際に鏡の間に置かれた玉座

  • 内部から見た大居室 :大使の階段または王の大階段の模型、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

    大使の階段の模型

  • ルイ14世、フランスおよびナヴァール王(1638-1715)甲冑に身を包んだ1666年の半身像、ジャン・ヴァラン(1604-1672)ジャン3世、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館 © RMN (ヴェルサイユ宮殿) / フランク・ロー

    ルイ14世の半身像、ヴァラン作

  • 1677年4月18日、カンブレーのシタデルの明け渡しを受けるルイ14世、1678年-1679年頃ドン・ペドロ・ザヴァルがルイ14世に降伏、フラン・ファン・デル・ムーラン、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

    カンブレーの前のルイ14世、フラン・ファン・デル・ムーラン作

  • 王の中庭の格子門に施された装飾、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/クリスティアン・ミレ

    ヴェルサイユ宮殿の王の格子門のオーナメント

  • 1670年、神話の登場人物に扮したルイ14世一家、ジャン・ノクレ(1617-1672)、1670年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

    神話の神々に扮した王室一家、ノクレ作

  • ダフネを追うアポロン、ルネ=アントワンヌ・ウアス(1645-1710)ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

    ダフネを追うアポロン、ウアス作

  • 王家の衣装を身にまとった王妃マリー=テレーズ、スペイン王女の全身像(1638-1683)、シャルル・ボーブラン(1604-1692)、アンリ・ボーブラン(1603-1677)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/エルヴェ・ルヴァンドースキー

    フランス王妃マリー=テレーズ、ボーブラン作

  • 夜の鏡の間、2011年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/クリスティアン・ミレ

    夜の鏡の間

  • シャルル・ル・ブラン(1619-1690)、画家、アスティアナ=セヴォラ・ボシオ(1793-1876)、彫刻家:フランス、アントワンヌ・コイズヴォックスをもとに(1640-1720)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

    シャルル・ル・ブランの肖像、ボシオ作

  • 「モデーロ」ドラゴンに引かれる戦車に乗ったサトゥルヌスの勝利、ヴェルサイユ宮殿内サトゥルヌスの間の天井、ノエル・コイペル(1628-1707)、1672年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© EPV/ジャン=マルク・マナイ

    サトゥルヌスの間の天井の下描き、コイペル作

  • フランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。1日目:7月7日水曜日:キノーのオペラの上演

    フランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。1日目。

  • ランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。4日目、大理石の庭の噴水の周りに置かれたテーブルを囲んだ祝宴、ジャン・ル・ポートル(1618-1682)、1676年、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) / ジェラール・ブロ

    フランシュ=コンテの再征服を祝うために開かれたルイ14世の祝宴、1674年ヴェルサイユにて。4日目。

  • フランソワーズ=アテナイス・ドゥ・ロシュシュアール、イリスを象徴するモンテスパン侯爵夫人(1641-1707)、ルイ・エル「ル・ジュヌ」(1648-1717)帰属、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/ダニエル・アルノデ/ジェラール・ブロ

    モンテスパン侯爵夫人、ルイ・エル帰属

  • フランソワ・ジラルドン、彫刻家(1628-1715)、王立絵画彫刻アカデミー学長 - 自身のコレクションの一部であるジュリアス・シーザーの大理石像の頭にもたれかかっている姿、ガブリエル・レヴェル(1642-1712)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) /ジェラール・ブロ

    彫刻家ジラルドンの肖像画、レヴェル作