何世紀という時の流れの中で

1924年 – 20世紀

1924 : ジョン・D・ロックフェラーのメセナ活動によるヴェルサイユ宮殿の修復

第一次世界大戦が終わると、フランスの他の主要な建造物と同様、ヴェルサイユも大きな被害を受けていることが明らかになりました。これは戦い自体が脅威となったのではなく、国がその遺産の保護とは別の優先課題があったために、宮殿とその領地が半放棄状態となったためです。スタンダード・オイル社創設者の息子である、アメリカの億万長者ジョン・ディヴィソン・.ロックフェラー・ジュニア(1874年-1960年)はヨーロッパへの移動の折に破損の規模に感銘を受け、1924年フランス政府に3つの大きな建造物の修復を申し出ます。戦争初期にドイツの爆撃により大きく損害を被ったランスの大聖堂、ヴェルサイユの城館そしてフォンテーヌブローです。工事の監督には建築家ウェルズ・ボスワースを選びました。そしてこのアメリカの有力な庇護者の寛大さによって、ヴェルサイユの城館・庭園・パーク・トリアノンとその庭園は何年かで修復されることとなったのです。ロックフェラーの協力は、その後多くの他の庇護を受けることになるヴェルサイユにとって、最初の重要な庇護でした。

ジョン・D・ロックフェラー(1839-1937)©RDA

ヴェルサイユを訪問するロックフェラー