何世紀という時の流れの中で

1774年 - 18世紀

1774 : マリー=アントワネットと小トリアノン

1774年6月6日、ルイ15世の喪に服していた王室一家は小トリアノンに集まりました。ルイ16世がこの城をマリー=アントワネットに贈ろうと決めたのです。在仏オーストリア大使で女帝マリア・テレジアの代理人であるメルシー=アルジャントー伯爵はこのエピソードを次のように綴っています。「長い間、オーストリア皇女がまだ王太子后であったころから、自分自身の田舎の邸宅を持ちたいと強く望んでいらっしゃった。そしていくつかの小さなプロジェクトを作っていた。≪王の死に際し、ノアイユ伯爵とノアイユ伯爵夫人は小トリアノンを提案した […] 私は王妃(マリー=アントワネット)に何の準備をせずに、誰の助けも借りずにこの願いをするように申し出た。王妃は私の意見に同意し、王妃が初めて小トリアノンの名前を口にすると、王は大喜びをしこの娯楽の家が王妃の物で、喜んで王妃に与えると答えた »

マリー=アントワネットにとって小トリアノンは、宮廷の習慣から逃れて自分らしく生きることができる場所でした。彼女は王に対して、招かれない限り小トリアノンにはやってこないという条件であれば贈り物を受け取るとすら伝えたのでした。すぐにこの家は、建築家リシャール・ミケの計画に従い、大規模な費用をかけて改築されました。庭は小さな酪農場付の英国・中国風庭園に変えられ、小さな劇場も作られました。小トリアノンには祝宴と喜びしかなかったのです。

小トリアノンの英国風庭園内の愛の神殿、ルイ=ニコラ・ドゥ・レピナッス(1734-1808)、1780、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館 © RMN(ヴェルサイユ宮殿)/ジェラール・ブロ

愛の神殿