何世紀という時の流れの中で

1875年-1876年 – 19世紀

1875-1876 : 上下両院合同会議の間

普仏戦争は1870年9月4日、第二帝政の崩壊を引き起こしました。フランスの領地に入ったドイツ連合軍はパリを前に拠点を置き、プロイセン司令部はヴェルサイユに設置されます。1871年1月18日、ドイツ帝国が鏡の間での荘厳な式典において宣言され、プロイセン王ヴィルヘイム1世に託されることとなりました。

臨時に政治遂行を担う国防政府は敵の侵攻を前にし、トゥール続いてボルドーに避難し、そこで休戦およびドイツ部隊撤退の条件について侵略軍と交渉します。3月にはパリ地域圏に戻ることが可能なはずでしたが、包囲された市民、コミューンの蜂起が勃発したため、首都に踏み入ることはできませんでした。従って今度は臨時政府側がヴェルサイユの宮殿に移り、オペラ劇場は臨時の国民議会の間となったのです。

1875年の共和国発足により二院が再び設立されたことにより、オペラ劇場が上院に割り当てられ、必要に応じて「上下両院合同会議」を開催することができる二つ目の間が国民議会のために建設されました。新しい間は議会建築家エドモン・ド・ジョリーによって南翼棟に作られ、1876年3月に初めて使用されました。この間の装飾には、ヴェルサイユの大装飾から取り入れたモチーフを多く用いています。

1877年6月16日、ヴェルサイユで開かれた国民議会の会議で「領土解放者」と言明されるティエール、ジュール=アルセーヌ・ガルニエ作に倣い(1847-1889)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

「領土解放者」と言明されるティエール