何世紀という時の流れの中で

1688年 - 17世紀

1688 : ルイ14世の大トリアノン

1686年から87年にかけルイ14世は、大水路北側の先、トリアノンの敷地に建てられた、彼の青年期の好みを非常によく表す余暇の別館「磁器張りのトリアノン」を壊すことを命じました。王は季節の良い時期に家族やわずかな同行者と共に、ヴェルサイユの激しさから離れて滞在する場所を探していたのでした。そして更に広く重厚な館を、彼の第一建築家ジュール=アルドゥアン・マンサールに注文し、1687年から1688年始めにかけ数か月でそれが建設されました。王が数名の婦人を連れて初めて夕食をそこでしたのは1688年1月22日のことです。

「大理石のトリアノン」または大トリアノンと呼ばれるその新しい館は、端から端までが一階建てで全ての部屋が同じ階にあり、それらの部屋の大ドア窓は庭に向かって大きく開きます。中庭のファサードと花壇は、つけ柱およびラングドック地方の赤い大理石のパネルで飾られています。庭園と中庭を、そして城館の2つの翼棟を隔てるのは開放的な回廊で、この構想は王自身が得たものでした。右翼棟は右の角で、花壇に沿う回廊に続き、その回廊は同じく右の角で、招待客の居室が入る別の翼棟に繋がります。トリアノンに王は家族で訪れたり、招待されたのであろう何家族かを伴って訪れたりしていました。

1723年、大通りからの大トリアノン城館の眺め。中庭に馬車のあるルイ15世の到着に際し、摂政が指図を出している。ピエール=ドニ・マルタン(1663-1742)、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿) /エルヴェ・ルヴァンドースキー

1723年の大トリアノン