何世紀という時の流れの中で

1867年 – 19世紀

1867 : 小トリアノンで« マリー=アントワネット» 展を開催

マリー=アントワネットの悲劇的な運命に心を打たれたウジェニー皇后は、トリアノンの領地を甦らせることを決めます。庭園と製作所を修復し、想像できる限り王妃が経験したものに最も近い状態に新しい家具を小城館に入れたのでした。家具・装飾美術品・個人的な思い出の品は、国の所蔵品や個人コレクションの中に埋まっている可能性がありました。そしてトリアノンの再生のため、これらの修理・選別をする委員会が設置されます。委員会は皇帝の党派補佐であり帝国宮殿の監督者であるルピック伯爵将軍が主宰し、国務財務大臣官房補佐官のドゥ・レスキュールがその書記官を務めていました。

小トリアノンは1867年の第2回パリ万国博覧会の幕開けと同時に公開されました。皇帝夫妻の招待者達は従って、トリアノン訪問を余儀なくされたのです。

(カタログには144番まである)品々の収集は、非常に種々雑多な特性を持っていたにも関わらず、連想を掻き立てるものでした。マリー・アントワネットを題材とした展覧会の構想は、1955年多くの品々を抱えて今度は宮殿において再び採用され、その後2008年にもパリのグラン・パレにおいて、科学的な確かな主題を持った展覧会が開催されました。

小トリアノンの外観、正面のファサードと正面広庭、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

小トリアノン