何世紀という時の流れの中で

1710年 - 18世紀

1710 : 新しい王室礼拝堂

ヴェルサイユにある現在の礼拝堂は、ジュール・アルドゥアン=マンサールによって1698年と1710年の間に建てられたものです。礼拝堂については複数のプロジェクトが立て続けに作られ、1679年に最終的に王の居室の近くである北翼に宗教的な建物を作ることが決められました。1682年、テティスの洞窟とエンベロープの間に一時的な礼拝堂が新たに作られました。その後、1684年-1685年には新たな計画が誕生し、アンヴァリッドにある円天井の礼拝堂から大きなインスピレーションを受け、北翼の真ん中のスペースを使用する計画が持ち上がりましたが、1687年には中止となりました。

礼拝堂のすらりとした構造は、大きなガラスのアーケードと、アーチ形の天井を支える円柱からゴシック様式を思い起こさせます。礼拝堂は、上階と王が座るギャラリーでエンベロープとつながっています。

礼拝堂の頂塔は1765年に破壊され、この建物が高くそびえたつイメージを強めることになりました。

この場所に使われている装飾の豊かさを際立たせる美しい多色の石敷きを除いては、内装には大理石は使われていません。1708年と1710年の間に実現された、ヴォールトに絵を描くプログラムで三位一体が描かれました。これには3人の芸術家が携わっています。つまり、半ドームにはシャルル・ドゥ・ラ・フォスのキリストの昇天、身廊の中心部にはアントワン・コイペルの栄光の中にある父である神、そして王室の階廊席の上にはジャン・ジュヴネの聖霊降臨祭 が描かれています。画家たちは塗ったばかりの地塗りの上に、直接絵の具をつけ事前に準備された数多くの下書きを基にこれらのの絵画を描きました。また、彫刻の図像計画もまた、礼拝堂の装飾において非常に重要な位置を占めており、トロフィーや柱の根本部分はジャン・ドゥ・ラピエール、クロード・ポワリエ、そしてアントワン=フランソワ・ヴァセが手掛けています。 金色のブロンズで作られたピエタ像は、コルネイユ・ヴァン・クレーヴの手によるもので、革命の混乱を奇跡的に逃れています。

ヴェルサイユ宮殿、18世紀初頭の礼拝堂の中庭、ジャック・リゴー、ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館© RMN (ヴェルサイユ宮殿)/複製権保有

ヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂