何世紀という時の流れの中で

1675年 - 17世紀

1675年前後:アンドレ・ル・ノートルによる大整備

庭園に面した宮殿新ファサード(「エンベロップ」)がル・ヴォーによって1670年代初頭に完成させられた後、その正面に新花壇を造ることが決定されました。屈指の画家シャルル・ル・ブランの図面に基づいて造られるこの庭園は、幾つもの泉水から成り、芝と花に覆われたその縁取りには、群像や個別の像の彫刻が置かれる計画でした。中央の泉水は円形で、他4つのより複雑な形をした泉水と繋げ合わせ、聖アンデレ十字を形取るものでした。

中央の群像は、4つの元素に囲まれたパルナス山を表す予定でした。脇の泉水の縁取りには、元素が永続的に変化することをシンボル化した、略奪に関する8つの群像が考えられていましたが、実際に作られたのは 「プルートとプロセルピナ」「キュベレとサトゥルヌス」「ボレアスとオレイテュイア」の3つでした。24の彫像は6グループに分類され、四大元素・四季・一日を分ける4つの時・四大陸・4種の詩・4つの人間の気質を示唆する計画でした。群像や彫像は、ジラルドンの指揮の下ル・ブランの素画に基づいて作られ、人物像やアトリビュートは、チェーザレ・リーパの有名な著書「イコノロギア」に倣ることとなっていました。

しかし幾つかの最初の彫像を試しに設置したところ、全体の効果は好ましいものではありませんでした。結局、彫像は花壇の縁、クマシデの生け垣に沿って置かれ、全体の効果は認識しづらいものとなりました。中央の群像は実現せず、略奪に関する群像は3つのみが作られ、オランジュリーの花壇と列柱の樹木庭園に置かれました。

1674年の「大量注文(グラン・コモンド)」と言われ、実現には20年程掛かったこれらの彫刻全体は、当時のフランス彫刻群の中でも最も美しいものの一つであり、ルイ14世時代の新フランス美術の特質を、おそらく最もよく表しているでしょう。

コロナードの庭園の中にある「プルートによるプロセルピナの略奪」、フランソワ・ジラルドン(1628-1715)ヴェルサイユ、ヴェルサイユ宮殿とトリアノン国立博物館 © EPV /クリスチャン・ミレー

ジラルドンの彫刻、プルートによるプロセルピナの略奪